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パンダの国から「大キリン」

(二) この番組を見終わって、中国の友人からの話を思い出した。 大震災直後の数日間、中国では多くのテレビ局が特別編成で報道し、さらに国際放送は連日、NHKのニュース番組に字幕を付けて報じていた。日本のアナウンサーが、淡々と事実を述べようとする姿に新鮮な感じを受けたという。なぜなら、08年の四川大地震の時、最初の二日間はテレビを見るたびに、現地で惨状を伝える報道陣のコメトで涙を流さずにいられなかった。両国の報道の仕方は、かなり違うという友人の感想。 さっきの番組で、叙情的に流れるスライドショーから、「静」の中に秘めた情熱が感じられた。もちろん、それは自国で起きた惨禍ではないという余裕によるものかも知れないが、事実を述べた後のコメントも、それに応じえる聴衆の反応も、やはり情熱的でストレートである。 それにしても、最近得た情報どおり、今の日本人に対する中国の報道は以前とは異なると、肌で感じさせられた。 (三) もともとこの春休みには、元の勤務先・中国マスコミ大学で、『私が見た日本』と題した特別講義をする予定になっていた。 「3・11」後、たくさんの外国人が日本を去っていった。中国政府も連日帰国希望者にチャーター便の提供をしているというニュースを聞いて、こんな時期に中国の大学生はまだ私の話に興味を持つかしらと、ますます憂うつな気持ちになっていた。 ちょうどその頃、香港の親戚から安否を尋ねるメールが届いた。大震災と大津波、さらに原発事故に襲われたにもかかわらず、日本人が冷静さ、秩序正しさを保っていることを、中国や香港のマスコミやネット上では、連日絶賛している由。 長い梅雨の合間に、暗い雲から陽射しが見えたような心境だ。ようやくネットを開いてみようという気になった。 『環球時報』という新聞は3月16日、中国の百人の学者たち(中には尖閣諸島問題などで日本に厳しい意見を述べた人たちもいた)による「日本に温かい支援の手を差し伸べよう」と題する声明を発表していた。 『環球時報』のホームページは、民族主義的論調で知られるが、そのコメント欄でさえ「東日本大震災」を気遣う書き込みがほとんどだった。 「被災地の日本人民のために、祈っています」「日本は頑張るはずだ。日本人はこんなことで泣かない」「四川大地震の際に、日本は救援の手を差し伸べてくれた。災害に際しては(日本を嫌う)民族的感情を抱くべきではない」「困難な時に発揮された、日本人のマナーの良さを見習わなければならない」などなど。 (四) 孔子曰く「衣食足、知栄辱(衣食足りて礼節を知る)」なぜ日本人は、衣食が足りない状況下でも礼節を守れるのか?日本人の資質について、長年の滞在を振り返りながら、教育力、神道、儒教の影響や「恥の文化」、単一民族と共同の構造などの角度から考えて、自分なりの答えを出してみた。 マスコミ大学の先生にこの話をしたら、演題『大震災を通して見る日本人の国民性』に変えてはどうかということになった。 当日、100分間の講義の最後に、学生たちにこんな質問をした。 「世界最大級のオンラン旅行会社のエクスペディアは、09年世界のホテルマネジャーに対して、各国観光客の評判を調査した。マナーに関する各項目において、3年連続で最良の観光客に選んばれた国はどこでしょうか?」すると、全員が口々に「日本」だと答えた。 それを聞いて、飛行機でもらった3月19日付けの『労働者日報』の記事が脳裡をよぎった。 「大震災に見舞われながらも、日本人の冷静さ、秩序の良さは、大震災そのものより、ある意味では、我々をもっと震撼させてくれた。」「大震災時に表れたその良好な資質は、何よりの国家宣伝となっている。」 もし震災前だったら、学生たちからすんなりと「日本」だという答えが出てきただろうか…。 (五) 数日後、家のメールボックスに「家園NEWS」という新聞が入っていた。北京市東城区東直門の町内新聞だ。えーっ、町内新聞ができた。ページ数こそ少ないが、普通の新聞と変わらないほどの作りだ。発行部数は一万五千部。 広げてみると、「居民の祈願」という東日本大震災に関する町民の投書コーナーがある。そのほとんどは、日本が今日の苦境から一日も早く抜け出すために、我々はできるだけの援助をしなければならないと書かれている。 「日本大震有感」と題した詩も掲載されている。 驚天悪浪瞬間来、福島地動万民哀、五十勇士錚錚骨(気骨がある)、視死如帰佑天台(死をも恐れず、世界を護る)。 (六) 中国のネットによれば、義援金の寄付者の中には、出稼ぎ労働者もいればお年玉を全部出した小学生もいる。中国映画『唐山大地震』が、日本で被災者への配慮のため、一時上映中止となっているが、その馮小剛(フォン・シャオガン)監督は、50万元(600万円)を寄付した。また、四川省は官民とも援助の動きが迅速だったという。 中国政府はガソリン1万トン、ディーゼル油1万トンの無償援助を追加した。「日本人民と世々代々の友好関係を築こう」というフレーズが新聞に久々に登場。やや疎遠になった中日関係だが、大震災を機に隔たりを縮めたことが、二週間の北京滞在中の、家族や親戚、友人などの言葉からも感じられた。 現地に入った中国の救援隊員が食料品を購入しようとした時、「はるばる協力に来てくださったんだから…」と、被災者は代金を受け取らなかったなどのエピソードを通して、「とにかく、これまでの日本人民への偏見が、尊敬の念へと変わってきた」と述べた中国マスコミ省に勤務する友人の話が、とても印象に残った。 日本に帰ってから、テレビで見たある映像。青空を背景に、赤い生コン圧送機が福島原発の4号炉に注水作業をしている。62メートルもの高さがあり、修復作業の現場では「大キリン」とか「無名の巨人」と呼ばれているそうだ。中国の無償援助によるものだ。北京で見たニュース~上海港でこの「大キリン」が船に搭載される際の、作業員たちの緊張感に満ちた仕事ぶりと真剣な眼差しが、目に浮かんできた。 … 今日4月24日(日)は、公民館で中国語教師と学習者による「手づくり餃子販売」、駅の地下広場で広島県華僑華人総会による胡弓の演奏や中国舞踊、水墨画の実演販売など、大震災復興支援のチャリティーイベントが行われており、私もこの文章を早く仕上げて駆けつけよう。   著 者  山本袁葉 編集者  丁 雷

パンダの国から「大キリン」

  (一) 風雪の中、日本の救援隊員が被害者を抱きかかえながら瓦れきの上を歩いてくる―近景は白い雪、その向こうには橙色のユニフォーム。厳寒の中にも暖かさ、力強さを感じさせられる。春休みの3月20日、里帰りした北京の実家での夕食後、テレビに浮かび上がってきた画像だ。 次は、一面廃墟と化した古里を呆然と見つめる女性の横顔。澄み渡った青空の下、本来なら彼女は庭で草木に水を撒いていたかもしれない。いや、魚屋で魚をさばいてもらっていたかも… セリフはない。ただ一枚また一枚、ゆっくりと画面に現れては消えてゆく…救出した赤ん坊を抱いた消防士の笑顔がフェードアウトすると、スライドショーは終わった。 悲壮感の漂う画像、静かに流れる音楽が私の心を震わせた。 震災直後から日本で見た報道。これでもか、これでもかと大津波による惨禍の映像が次々と現れた。朝、いつもどおり「行ってきます」と出かけたのに、それが家族・家・故郷との永遠の別れであったとは、誰が想像できただろう?移り変わる四季をめで、わずかな自然の変化にも心を動かせる。そんな日本人に、大自然はなぜこんな仕打ちをするのか、と目を覆いたくなった。 画面はスタジオに戻り、「震災十天(10日間)」と題した北京放送局の特別番組の最中だと分かった。 聴衆を前に司会者、ジャーナリスト、評論家によるドークショ―が行われている。 佐藤水産会社の専務は、20名の中国人研修生を高台に案内してから、妻子を呼び戻す途中に津波に呑み込まれてしまった。それを目の当たりにした研修生は、帰国した北京空港で涙しながらインタビューに答えている。 この逸話は、日本で安否見舞いの電話を中国からもらった際、すでに知らされていた。多くの中国人が心を打たれたそうだ。 「津波が来ます。早く逃げてください!」と、スピーカーから流れる遠籐未希さんの声。25歳の若い命を奪われるまで放送し続けていた。スタジオで再生された雑音交じりの音声に、涙を拭く聴衆の顔…司会者のコメントが続く。 「彼女と同じ、人々に言葉で伝える仕事をしている私ですが、いざ危機に瀕した時、果たして彼女のように仕事を全うすることができるだろうかと自問していますが、なかなか答えが出ません。だから、彼女の勇気に心より敬意を表します。」 静まり返った会場。しばらくすると、遠籐さんへの大きな拍手が湧き起こった。 話題は原発事故直後の修復作業に赴く50人の作業員に移った。あと半年で定年となり、悠々自適の第二の人生が持っているというのに、自ら志願したある消防隊員。娘からのメールが紹介され、「…父の決断を誇りに思います」と読み上げられると、再び大きな拍手が起きた。 防護服を身につけ、顔も知られず、名前も言わぬ。人類のために勇敢に戦う彼らのことを、中国のマスコミでは「福島五十勇士」と名付けた。「…この同じ地球の同胞に、敬意を捧げご無事を祈りたい」というジャーナリストの一言に、目頭が熱くなった。 冒頭のスライドショーがもう一度繰り返され、エンディングを迎えた。 著 者  山本袁葉 編集者  丁 雷

ウォーキングマシンの上で歩きながら…

(四) じむの大きな窓ガラスに、灰色の雲間からお日様の顔が覗かれた。陽射しを浴びながら、紺袴に竹刀を持った学生たちが、隣の武道場に向かっている。つい最近見たTVドラマ「龍馬伝」のシーンが浮かんできた。日本では江戸時代、すでに女性も男性と同じ道場で堂々と稽古していた。しかも、龍馬が女剣士からしごかれたことも鮮烈だった。 他にも、日本発祥のスポーツである柔道。女性同士も相手を投げ倒し、押さえ込み、当て身をして攻撃防御の技を競う。 80年代初頭、中国の大学で日本の柔道を放映した時、「えーっ、女性もするの―?」という、皆の驚嘆の声が今でも耳に蘇る。 当時、日本人女性といえば、まず和服姿が目に浮かんだ。三つ指をついて夫を迎えたり、夫より三歩下がって歩いたりする婦人の姿が、時代劇のみならず現代劇にも見受けられたものだ。 「大和撫子」に宿る外柔内剛の精神、そして武道は身体を鍛錬するだけでなく、精神修養が重視されていることは、この国に長く住んでみてようやく分かったことだ。 (五) 中国人の伝統的な「修心養生」のスポーツに、太極拳がある。緩慢な動きの中に、集中力と身体のバランス、筋肉を鍛える。 著名な中国人作家・思想家である林 語堂は「中国=文化と思想」(1935年)の中で、「中国人の精神は多くの点で女性的だ」と指摘している。 その昔、為政者は中国では士大夫―科挙試験に合格した官僚・知識層エリートたち。それが日本では武士である。その精神は、それぞれの国民性にも影響していると考えられる。中国とは対照的に、日本人の精神は多くの点で男性的だと感じているのは、わたしだけだろうか… (六) 今日の中国人の考え方は昔とは大きく変わっており、特に女性の変化が著しい。きっかけとなったのが、1949年10月1日の新中国誕生である。その翌年には新しい「婚姻法」が施行され、「夫婦別姓」「男女同工同酬」は女性の社会進出を促進し、夫婦共働きが一般的になった。私が来日した翌年の86年に「男女雇用機会均等法」が発表された時、内心「えーっ、今さら?中国では36年も前からやっているのに…」と思った。 88年、日本の大学院の課程を終了した私は、同期の女性が「永久就職です」と言ったので、てっきり公務員になるのかと思っていたら、のちに彼女が結婚し専業主婦になったことを知って驚いた。 中国では「専業主婦=家婦」といい、当時はほとんど年配の女性であった。新中国誕生前まで続いていた、孔子の「女子無才便是徳」(女子は無知が美徳)の教えに従って、あるいは貧しさから学校に行かせてもらえず、家に留められた都会の既婚女性のことを指していた。 対照的に、日本では江戸時代から「寺子屋」で男女ともに「読み・書き・算盤」の教育を受けていた。いち早く近代国家の基盤が作られていたのだ。 光陰矢のごとし、20世紀末となり、日本ではバブル経済の崩壊に伴い、「終身雇用」も「永久就職」もいつの間にか時代の波に呑み込まれてしまった。 グローバル化の時代に入り、中国をはじめアジアの若者のエリートを他国と競って採用する日本企業を見て、国際化を実感しつつも、海外から流動的な人材を獲得するより、眠っている日本人女性の知的な潜在能力を発掘した方が、この国の発展にとって、よほど堅実なやり方ではないかと思う。 最近、第一線で活躍する若い女性エンジニア、「機械女子」たちに関する報道を見て、日本の将来に光が見えた。と同時に、背中を押された感じもした。 ウォーキングマシンで30分歩き続けることは、最初はついていくのが精一杯だった。慣れるにつれて、色々なことが頭の中を交差する余裕が出てきた。この文章も、そんな時に考えたものである。 著 者  山本袁葉 編集者  丁 雷