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パンダの国から「大キリン」

 

(一)

風雪の中、日本の救援隊員が被害者を抱きかかえながら瓦れきの上を歩いてくる―近景は白い雪、その向こうには橙色のユニフォーム。厳寒の中にも暖かさ、力強さを感じさせられる。春休みの3月20日、里帰りした北京の実家での夕食後、テレビに浮かび上がってきた画像だ。

次は、一面廃墟と化した古里を呆然と見つめる女性の横顔。澄み渡った青空の下、本来なら彼女は庭で草木に水を撒いていたかもしれない。いや、魚屋で魚をさばいてもらっていたかも…

セリフはない。ただ一枚また一枚、ゆっくりと画面に現れては消えてゆく…救出した赤ん坊を抱いた消防士の笑顔がフェードアウトすると、スライドショーは終わった。

悲壮感の漂う画像、静かに流れる音楽が私の心を震わせた。

震災直後から日本で見た報道。これでもか、これでもかと大津波による惨禍の映像が次々と現れた。朝、いつもどおり「行ってきます」と出かけたのに、それが家族・家・故郷との永遠の別れであったとは、誰が想像できただろう?移り変わる四季をめで、わずかな自然の変化にも心を動かせる。そんな日本人に、大自然はなぜこんな仕打ちをするのか、と目を覆いたくなった。

画面はスタジオに戻り、「震災十天(10日間)」と題した北京放送局の特別番組の最中だと分かった。

聴衆を前に司会者、ジャーナリスト、評論家によるドークショ―が行われている。

佐藤水産会社の専務は、20名の中国人研修生を高台に案内してから、妻子を呼び戻す途中に津波に呑み込まれてしまった。それを目の当たりにした研修生は、帰国した北京空港で涙しながらインタビューに答えている。

この逸話は、日本で安否見舞いの電話を中国からもらった際、すでに知らされていた。多くの中国人が心を打たれたそうだ。

「津波が来ます。早く逃げてください!」と、スピーカーから流れる遠籐未希さんの声。25歳の若い命を奪われるまで放送し続けていた。スタジオで再生された雑音交じりの音声に、涙を拭く聴衆の顔…司会者のコメントが続く。

「彼女と同じ、人々に言葉で伝える仕事をしている私ですが、いざ危機に瀕した時、果たして彼女のように仕事を全うすることができるだろうかと自問していますが、なかなか答えが出ません。だから、彼女の勇気に心より敬意を表します。」

静まり返った会場。しばらくすると、遠籐さんへの大きな拍手が湧き起こった。

話題は原発事故直後の修復作業に赴く50人の作業員に移った。あと半年で定年となり、悠々自適の第二の人生が持っているというのに、自ら志願したある消防隊員。娘からのメールが紹介され、「…父の決断を誇りに思います」と読み上げられると、再び大きな拍手が起きた。

防護服を身につけ、顔も知られず、名前も言わぬ。人類のために勇敢に戦う彼らのことを、中国のマスコミでは「福島五十勇士」と名付けた。「…この同じ地球の同胞に、敬意を捧げご無事を祈りたい」というジャーナリストの一言に、目頭が熱くなった。

冒頭のスライドショーがもう一度繰り返され、エンディングを迎えた。

  山本袁葉

編集者  丁 雷